演題と内容

「わくわく・ドキドキ 中国滞在記」

~ 中国・江西省九江市での四年間の暮らしを語る ~

四年間滞在した中国江西省・九江市の魅力をご紹介します。九江市は赤壁の戦いで有名な周瑜に関わりのある 三国志ゆかりの古都で、長江や廬山、東林寺などの名所もあります。

この地での単身生活や一人旅での予想外のハプニング、現地の食文化との違い、日常のちょっと変わった体験などを、軽妙なトークでお話しします。思わず「へぇ~!」と驚く体験談も交え、楽しく参加できる授業スタイルです。

本講演は私自身が九江市の魅力をお伝えするもので、九江市からの依頼ではありません。民間交流や異文化体験を中心にお伝えする内容で、政治的・宗教的・思想的な主張は含まれません。


講師プロフィール
100 年研修パートナーズ 代表 香月 恭弘(かつき・やすひろ)
福岡大学大学院 法学研究科 修了
元・税理士。
第二の人生として中国・江西省の大学で4年間教壇に立ち、現地生活を満喫。

著書
『うつ病克服体験談』
『わくわくドキドキ 中国滞在記』
(ペンネーム:長生志多郎)

講演実績
JA さが、JA共済連佐賀、コミュニティセンター、公民館などでの講演多数
「ゆめさが大学」授業担当(今年度も継続中)

講演概要
対象:地域住民の方(全年齢層対応可)
時間:60分(質疑応答含む)
受講者の皆さんに問いかけを行いながら、参加型の楽しい授業スタイルで進めます。
場所:公民館など。
謝礼:ご予算に応じてご相談承ります。
準備物:マイク/プロジェクター:あると便利ですが、必須ではありません。
(また、急な講師交代のときにもご相談ください)
連絡先
香月 恭弘 電話:070-8364-7378
メール:nagaikikenkoo@gmail.com

講師の詳しいプロフィールや他の演題は下記の香月恭弘の講師サイトへ

👉 (香月恭弘の講師サイト)https://sites.google.com/view/jjinnsei100

以下のような団体の皆さまにおすすめです。

🏫 日中友好協会・市町村の国際交流課

📚 公民館主催「老人大学」・生涯学習講座

🤝 各協同組合・共済組合の勉強会やセミナー

🎓 中学・高校の特別授業

少人数での開催も歓迎します。お気軽にご相談ください。

レポート
『廬山の静寂とともに生きた日々』


1. はじめに

 私が中国・江西省の九江市へ渡ったのは、人生の大きな節目でした。

 心の病が癒え、「第二の人生として何かに挑戦したい」という想いが芽生えた頃、心身のリハビリも兼ねて中国語を学び始めました。軽い趣味のつもりでしたが、若い頃から親しんできた『三国志』の世界に憧れを抱いていたこともあり、いつか遺跡を巡ってみたいという密かな夢もありました。

 そんな折、思いがけない縁から「中国の大学で日本語を教えてみないか」という話が舞い込みました。正直、中国語はほとんど話せませんでした。それでも、恩師や妻が温かく背中を押してくれたこと、そして「ここからもう一度歩き直したい」という気持ちが胸の奥で静かに燃えていたことが、私を決断へと導きました。

 行き先は江西省九江市──当時の私には地図の上でも定かでない、静かな地方都市でした。日中関係が不安定で、周囲からは「危ない」「無謀だ」と止める声も多く聞きました。それでも私は、“行かなければ見えない世界がある”という直感に従いました。

 不安よりも、未知の国に踏み出す高揚感の方が大きかったのです。

 こうして私は、言葉も文化も十分に知らぬまま、中国の大地へと足を踏み出しました。今振り返れば、この一歩こそが私の人生を豊かにしてくれた“運命の始まり”でした。


2. 九江市での暮らしと人々

 中国に到着して間もない頃のことです。学生たちと大学の食堂で食事をしていると、近くに座っていた別の学生が流暢な日本語で話しかけてきました。

 「日本語学科の学生ではないよね?」と尋ねると、「はい」と笑顔で答えます。あまりに自然な日本語に驚き、「どうしてそんなに上手なの?」と聞くと、彼は照れくさそうに「日本のアニメで覚えました」と答えました。

 彼によれば、内陸部の子どもたちは親が沿岸都市に出稼ぎに出ることが多く、中学から寮生活を送ることも珍しくないとのこと。テレビやアニメが、家族の代わりに心を育ててきたのだと言います。
 一休さん、ドラえもん、ちびまる子ちゃん──日本のアニメが彼らの心の寄る辺になっていたのです。

 その話を聞きながら、私は文化の力に心を打たれました。国境を越え、言葉を越えて、人の心に届くものが確かに存在する。文化は、言語より先に“心”で交わるものなのだと感じた瞬間でした。

 大学の門前には、いつも屋台が賑わっていました。中でも忘れられないのは、ドラム缶を改造した焼き窯で焼き芋を売る老夫婦です。
 拳ほどの焼き芋が一つ二十円ほど。三つ買うと、いつもおばあさんが「一个送你(おまけよ)」と笑顔で一つおまけしてくれました。

 袋の中には黄金色に輝く、ふっくらとした芋。ひと口かじると、ほんのりとした甘さと水分が口いっぱいに広がり、寒さでこわばる体をやさしく温めてくれるのでした。

 九江市の暮らしは、言葉ではなく“人の温かさ”で成立していました。


3. 廬山の自然と文化 ― 「廬山の真面目」との出会い

 九江市のほど近くに、古来より名山として知られる「廬山(ろざん)」があります。ある日、中国人の同僚が教えてくれました。

 「廬山には『廬山の真面目』という有名な言葉があります。」

 私は「真面目?」と戸惑いましたが、それは“まことの姿”という意味でした。北宋の文人・蘇軾(そしょく)の詩『題西林壁』が語源だといいます。

橫看成嶺側成峰
遠近高低各不同
不識廬山真面目
只緣身在此山中

(横から見れば山脈に、側から見れば峰に見える。遠く近くでその姿を変える。
廬山の真の姿が見えないのは、私自身がその山の中にいるからだ。)

 “物事は、一方向から見ただけでは本質が見えない”
 この詩に触れ、帰国前にどうしても廬山を自分の目で確かめたいと思い、外周約30キロの自転車旅を一泊二日で決行しました。

 夜明け前の午前五時、薄暗い道にペダルを踏み出す時の胸の高鳴りは今も忘れられません。言葉は通じず、方言もわからない。不確かな旅。それでも、心のどこかで「自分を確かめたい」という思いが私を前に進ませました。

 走るにつれ、廬山は刻々と表情を変え、霧の中に姿を隠したり、陽光に照らされて突然現れたりしました。まさに蘇軾の詩の通りでした。

 旅の終わりに私は、廬山の詩の意味を“頭ではなく、心と身体で”理解したのです。


4. 廬山と日本のこころ ― 西本願寺「虎渓之庭」へと通じるもの

 廬山と聞くと、中国の人々は東林寺を思い浮かべると言います。ここは中国浄土教の祖・慧遠(えおん)大師が開いた寺で、日本の浄土宗・浄土真宗にも大きな影響を与えました。
 つまり廬山は、日本人の信仰の源流が静かに息づく場所でもあります。

 慧遠大師は「虎渓の橋を越えない」という誓いを立てましたが、友と語らう楽しさに心を奪われ、つい橋を渡ってしまった──その時、虎が吠えて初めて橋の外に出ていたと気づいたという逸話が残っています。これが「虎渓三笑」です。

 京都・西本願寺の「虎渓之庭」は、この廬山の景観を模してつくられた枯山水の庭。静寂と奥深い精神性を湛えたその庭は、廬山の霊気と共鳴するかのようでした。

 言葉も文化も違うはずなのに、人の笑顔には確かに通じ合うものがある──
 中国での四年間は、まさに“虎渓の橋を渡るような”、静かで深い時間だったのです。


5. 帰国して思うこと ― 養生訓と第二の人生に重ねて

 四年を終えて帰国したとき、私は「心の風景が変わった」とはっきり感じました。

 九江の街角で出会った、父によく似た初老の男性。
 笑顔で焼き芋をおまけしてくれたおばあさん。
 日本語を独学で学んだ学生たち。

 その一つひとつが、今の私を形づくっています。

 帰国後、久しぶりに読み返した貝原益軒『養生訓』には、こうあります。

 「怒らず、欲を抑え、心を平らかに保つことが長生きの道である」

 廬山の静寂、西本願寺の庭の静けさ──
 どちらにも通じる“心を澄ませる生き方”が、そこにはありました。

 かつて私は心の病の暗闇にありました。しかし、九江の空の下で人々の優しさに触れ、少しずつ心がほぐれていったのです。
 人生もまた、廬山の“真面目”と同じく、一つの角度から見ただけでは本質が見えません。

 苦しみもまた、見方を変えれば成長の糧になる。

 今の私は、養生訓を通して「心を開く勇気」と「相手を思いやる優しさ」をお伝えする活動を続けています。


――あとがき――

 九江での暮らしは、私にとって“再出発の時間”でした。
 異国の地で出会った人々の優しさ、霧に包まれた廬山の静けさは、今も私の心の深いところに息づいています。

 人は、何歳からでも変われる。
 心をひらけば、どんな国の人とも通じ合える。

 このレポートが、だれかの人生のどこかで、小さな光となることを願っています。

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